友達の飼っていたネコが20年生きて今日逝ってしまった。

老衰だったみたい。
私が飼っていたイヌを3年前に死んでしまったのを思い出した。13年生きてガンができて、発見してから一年も経たずに逝ってしまった。
イヌが家に来た時はとても可愛くて甘やかしてたと思う。
ほとんどお世話をしていたのに私にはあまりなつかなかった。
でも兄が進学で家を出て、次いで姉も家を出て私と一緒にいる時間が増えた。それでもたまに帰ってくる他の家族の方が好きで、私よりなつかれてないのが父だけだった。
父はまったくイヌとは仲良くないわけではないけど扱いが乱暴だったのでイヌがなつかないのも無理はない。なんで私にはなつかないのだろう。。。今思い返せば、見下されていたんじゃないかって気になってきた。
父は自転車で散歩させようとして、イヌが歩かなくて自転車で倒けてしまい、イヌを叱りとばしたそうで、それから二度とイヌの散歩にはいかなかった。

そういえば、夕食にステーキが出た時450gあった焼けたお肉がお皿からなくなっていた。机の下をみたけど何にもなく、汚れてもいない。
なんでだろうと一瞬不思議だったけどすぐイヌが怪しいと気付いた。いつも台所にいるイヌがいない。いつもなら夕食の準備の時に必ず台所でうろちょろして母からなにかしら切れ端やらおこぼれをちょうだいしていたり、自分の食器を前足でカラカラご飯を催促しているはずなのにイヌがいないのだ。どこだろうと探したら私の部屋のベットの上で寝ようとしていた。
怪しすぎる
口の近くを匂うと、ステーキのいいにおいがした。。。
なつかれてもいないのに私が飼い主ということで、私も一緒に叱られた。450gのステーキは母と姉と私3人で分けるはずだったのに。
そんなイヌとは仲良くもしたけど、悪くもなったり。
高校生になると両親が家を空けることが多く私は一人で過ごすことが増えイヌしか相手がいなかった。
母や姉、兄がいない時はしぶしぶ私の部屋で一緒に寝ていた。
そんないやなら来なきゃいいのにとは絶対言わなかった。イヌが一緒の布団で寝るのがとても羨ましかったから。でもしぶしぶきてるのが本当は切なかったけど。
イヌは自分の名前以外に、「ゴハン」や「サンポ」や「フトン」、「オスワリ」を覚えた。「サンポ」と言うと玄関まで猛ダッシュでやってきてリードと首輪を見たら座ってつけてもらいたいけど、うれしすぎてうまく座れないという状態になっていた。
たまにいたずら心がわいてしまって、学校に行くときに玄関で「サンポ」と声をかけてドアを閉めて、学校から帰ってきて様子をみると、わりとケロッとしていた。でも母に出かけたあとの様子を聞くと、玄関のドアをいつまでも前足でガリガリとかいて、なんとかドア(ちなみにマンションのドアで鉄のドア)をあけようと鼻でこじ開けようとしたり、私が閉めた数分後向かいの人が出てきた音に異常に反応してたらしい。
申し訳ないことした。と思ってすぐサンポに行こうと制服を着替えに部屋に戻ると部屋からアンモニア臭がする。
まさかと思ってみたら部屋の片隅でなさっていた。しかも両方。しかも窓辺。窓を開けると風にのって部屋中に臭いが広がる。
イヌにも復讐心とかあるのだろうかと思った。
その後イヌ相手に大喧嘩。私は怒ってこんなことしたらダメじゃんか!!とか言ってるのに対してイヌは唸っている。今にも噛みつかれそうなのでちょっとなだめて拳骨しようとしたら拳骨に噛み付かれた。今ではその傷跡は残ってないけどその時の唸り顔とか、掃除が辛かったのは私の心に残っている。
イヌにガンがみつかった時は、なんだか様子が変とかいったことはなくて、持病の皮膚アレルギーの治療で犬猫病院に連れて行った時見つかった。
手術をするかどうかを1ヶ月悩んだけど、手術はしないことにした。
私のワガママで私の家で飼ったし私のワガママでいろんな辛い目に遇わせてきたと思うと、またワガママで手術してしまおうかとも考えた。だけど手術は13年生きたイヌの体にとっては負担だった。他にも持病もあったし耐えられないかもしれない。
でもあと何年も生きていてほしい。最期は病院じゃなくて家でむかえさせてやりたかった。
ワガママは手術をしないワガママにした。
今でも覚えてるのが逝く前の夜、イヌは珍しく私の部屋で連泊してた。私が夜中に目が覚めて、寒いだろうから布団を体にかけてやろうとしたら、イヌがセキをしだした。いつまでもとまらなくて、その後吠えていた。しゃがれた老犬の鳴き声には息をするのも苦しそうな吠え方だった。もしかすると吠えていたのではなく咳がうまくできなくてでも苦しいって鳴いていたのかも。
次の日は友達と買い物の予定があったので出かけていたら、私がいない間に逝ってしまった。
その日は姉が一人家にいて、イヌがよたよた姉のところへやってきたのでなでてやったとたんひっくりかえってもう起き上がらなかったそうだ。
なんども私に連絡してくれたのに私はまったく着信に気付かず、一日を過ごしていた。
その日買い物に悠々と出掛け、電話を放置してのんびり開放された気持ちで過ごしていたことを忘れられない。
いままでイヌにしてきた総ての行いが後悔と反省をしていない自分に最大の罰を与えられたような気持ちになってとても辛かった。「サンポ」になかなか行かなかったり、「ゴハン」の時間に家に誰もいなかったり、手術したら今でも生きていられたかもしれないのに。もう償いようのない過ちのような。「飼い主としての責任を全うしていないくせに。と誰かに言われたような気さえもする。」
姉以外は私を誰も責めなかった。それがまた辛かった。

もうすぐ3年が経つのに楽しく過ごした日々より、「サンポ」とだましてドアを閉めたり、うっかりゴハンをあげ忘れて、私のご飯を食べられて拳骨したりしたこと、手術を迷いながら、泣きべそをかきながら病院通いをしていた事を思い出す。全部もっとしてあげられることはあったのに。当時だって気付いていたのに。この想いが出てくる。

死んでいなくなるということがどういうことかは想像していたよりはるかに重くのしかかった。イヌが逝って3年経ってやっと受け入れることができるようになった気がする。


友達のネコのいない後の反省や後悔が軽いといいと心から願う。